経歴1
私が日本舞踊をはじめるまでの経歴を少しだけお話させていただきます^^
子供時代…色々な事が人並みにできず、落ちこぼれのいじめられっ子。
そんな私を見て母が見つけてくれた相馬の牧場が私の心の拠り所になる。
大好きな動物達の体温、森の中の光と暗闇、落ちてきそうな星空、風はいつも友達で、小人や妖精もちゃんといて(コレほんと)、牧場で働く大人達の深く優しい瞳と明るい歌が私を育ててくれる。
16歳…父が亡くなり、人の命の儚さと世の中の矛盾や虚構を痛切に感じ、この世界のほんとうの事を知りたいと強く思う。
その頃から湧き上がる想いを写真や絵や詩の作品にする(詩画集「コスモス」を出版)
18歳…進路に悩んでる時に見つけた「宮沢賢治の学校」の表現クラスで、はじめて人と真正面から向き合い、自分の内側の声や叫びと対峙する。
19歳…ドイツのシュタイナー学校へ短期留学、森と雪、中心に小さな教会のある石畳の街、厳粛で静かなクリスマス、祈りと共にある暮らしを知る。
同じ年に、一人旅でスコットランドのコミュニティを訪れた時、初めて自由に踊る体験をし、からだが世界に溶け込んでゆくような予感に驚く。
20歳…バイト先の雇い主に誘っていただき、舞踏家でオイリュトミストの笠井叡氏のオイリュトミー公演を観に行く。
そこには自分がずっと探してきたもの、命や魂の起源のようなものが、舞台いっぱいに花咲き、開示されているような気がして夢中で見入る。
(オイリュトミーとは人智学者のルドルフシュタイナーの作った運動芸術)
21歳…笠井氏の主催する4年間のオイリュトミーの専門学校に入学。死に物狂いでからだと向き合う日々を過ごす。
卒業作品、泉鏡花作「天守物語」とBach作「我、汝を呼ぶ」を発表。
26歳…笠井氏の影響で日本の伝統芸能に興味を持ち、当時の仲間が教えてくれた坂東玉三郎丈の踊りを歌舞伎座へ観に行き、例えようのない美しさに衝撃を受ける。
オイリュトミーへの想いも深かったけれど、日本舞踊を学びたいと言う思いが日に日に強くなりコースの途中だったが退学を申し出る
(笠井先生が下さった数々の言葉や教えは、今も心に輝く星のように見守ってくれている気がします。。)
26歳、日本舞踊(吾妻流幹部)吾妻春千穂師匠に入門、師匠の踊りとお人柄に心から感銘を受け修行させていただく。
師匠の生き方、生活の全てが踊りと、日本文化の精神性に満ちていて、師匠と過ごす時間はいつも驚きと感動の連続でした。
同時に、私などには決して近寄れない、伝統芸能の世界の厳しさ、選ばれたものにしか許されない気高さ、崇高さを垣間見て、身が震え、絶望することもしばし。。
それでも師匠の深い愛情、命懸けの稽古と薫陶を頼りに、踊りを続けさせていただいています。
想えばたくさんの人に導かれ、支えられ、与えられ、生かされてきたこの人生、感謝の気持ちでいっぱいです。
26歳以降の事もまたいずれ機会があれば書かせていただきます。
(長文失礼いたしました)
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